※ギーマさんがあまりカッコよくない
「……め…………ない……か」
スーパーからの帰り道。風にのって、聞き覚えのある声が耳に入ってきた気がした。私の家の方角からだ。
両手に提げた買い物袋をかさかさ鳴らしながら歩いていくと、生垣が途切れて声の主が露わになった。
「なぜなんだユメぇ!」
黒のスーツに身を包んだその人物は、私の家のドアに拳を打ちつけて、困り果てたようにへたりこんだ。
「あれ、ギーマじゃん」
哀愁漂う背中に声をかけると、彼は勢いよく振り返って目を丸くした。
「ユメ……! いたのか!」
「久しぶりだね。元気だった?」
微笑んだ私に駆け寄ってきたギーマは、手荷物を全部持ってくれた。「そうか、買い物に行っていたんだな」どこかほっとした様子でそう言って。
「さっきのはなんだったの? 只事じゃない様子だったけど」
私が訊くと、彼は言いにくそうに眉を寄せた。
「いつもなら鉢植えの下に鍵を隠しておいてくれるじゃないか。それがなかったからさ」
「ああ、あれなら近所のやんちゃ坊主がいたずらするから撤去したの」
「私はてっきり、きみに愛想を尽かされたのかと……」
「なんでそうなるのよ」
「それに人の気配がなかったから、引っ越したのかと思ったよ」
彼の突飛な発想に思わず笑ってしまった。
「そんな訳ないじゃない。随分と悲観的だね」
「ここのところ負けが続いていてね……。もしやきみまで失ったのかと思ったんだ」
そう言ったギーマの瞳に陰鬱な色が浮かんでいたので、私は彼が訪ねてきた理由がすっかりわかってしまった。
とりあえず彼を家に上げて、コーヒーを出した。私は買ってきた物をひととおりしまってから席についた。
ギーマは窓辺に視線を漂わせていたけれど、私がコーヒーを一口飲む間に居住まいを正して、口を開いた。
「古代の壺を貸してくれ」
「ふふ、やっぱり。そう言うと思ってた」
「抵当に入れさせてほしい。そして次の賭けに勝って、必ず取り戻すと約束しよう」
「うーん。あれは大事な物だからなあ……」
私はわざと難しい顔をした。
ギーマが我が家の家宝を借りようとするのは、これが初めてではない。彼はときどきひどく負けが込んで、こうして幼馴染である私を頼ってくる。
客間に飾ってある壺(ダイビングが趣味だったおじいちゃんが見つけたものだ)には結構な価値があるらしく、ギーマはそれを二度借りていき、そのたびに大勝し、驚くほどのお礼の品々とともに帰ってきた。
なんだか昔話のような上手い話だが、勿論彼が負けに負けて、抵当流れになる可能性はあった。仮にそうなったところで、骨董品に興味のない私には大した問題ではないのだが。それよりギーマが危険な賭け事に巻き込まれて、指を失わないかが心配だ。
彼が助けを求めるのもこれで三度目。そろそろ身の安全を守るよう促してもいいだろう。
「お断りします」
「そんな……。きみは私がどうなってもいいのか?」
ギーマの目が子犬のようにきらめいた。私はこの表情に弱い。
「頼む。きみと私の仲だろう?」
「そう言われてもねえ。いい加減全財産を失うような勝負はやめなさいよ。肝が冷えるから」
「敗者にはなにも残らない……そんな勝負こそが生きている証なんだ。人生は生きるか死ぬかの真剣勝負。そうだろう?」
それに、とギーマは続けた。
「私から賭け事を取ったら何が残るんだ?」
――何が残るか?
私はその答えを持ち合わせていなかった。少なくとも彼が魂の抜けた人物になることは予想できた。
「じゃあこうしよう。ババ抜きをして、ギーマが勝ったら壺を貸す。私が勝ったら……賭け事はほどほどに」
「いいだろう」
ギーマは神妙に頷いた。
「ふっ……勝負師の血が騒ぐぜ……!」
「はいはい」
「この勝負、決して負けるわけにはいかない」
ギーマがカッコつけるのを待っていたみたいに、爽やかな風が吹いた。黄色いマフラーが風にはためく。彼はいつの間にか窓を開けていたのだった。
トランプを持ってくると、先ほどまでの陰りはどこへやら、ギーマは急にいきいきとしてきた。
すらりとした脚を組んで、カードを切る私を愉しげに見つめてくる。
「懐かしいな。昔はよく、こうしてゲームをしたものだった」
「そうだね。あの頃は負けてばかりだったけど、今日はそうはいかないわよ」
切ったカードをギーマに渡すと、彼は整えられた爪でカードを掴み、見事なリフルシャッフルをしてみせた。続いて、カードを残らず配分した。
私は伏せられたカードをめくった。
何となくそんな予感がしていたが、ジョーカーは私の手札にあった。ペアになるカードを場に捨てながらギーマを見やると、彼は意地悪く口角を上げていた。
――まさか、イカサマ?
そんな考えが頭をよぎる。だが、このトランプは私の所持品だ。不審な点はないはず。単に運の問題だろう。
「さて……どれを引こうか」
ギーマの指が、私の手札の上を思わせ振りにさまよう。その上しきりにこちらの表情を窺うので、私は先日釣ったテッポウオのことを一心に考えた。
「腕を上げたね。昔はどうしてもジョーカーに目が行ってしまったのに」
ギーマが感心したように言って、カードを引いた。ペアになるものを引き当てたそうで、カードを二枚、場に捨てた。
「ふふん、昔の私とは違うのよ」
得意気に笑って引いてみたものの、貰ってきたスペードの相手はいなかった。
そして私の手札が二枚、ギーマの手札は一枚になった。ここが正念場である。
ギーマはなにも言わず、青空のような瞳でカードと私とを観察した。
さすがにポーカーフェイスを保つ自信がなくなった私は、机の上にカードを置いた。小狡い手かもしれないが、壺とギーマの安全が懸かっているのだ。
「そうきたか。まあ……それがきみの最善手だろうね」
ギーマは顎に指をあて、二枚のカードを穴のあくほど凝視した。なにせ彼は一流のギャンブラーだ。ツキを読もうとしているのだろう。
しばらくして、彼の選んだカードで勝負がついた。
「やっぱり勝負の女神は男の人が好きなんだ……」
私はがっくりとうなだれた。
「どうかな。ユメ、きみは気づかなかったのか?」
「え? なんのこと?」
「ジョーカーの裏面をよく見るといい」
言われて裏返してみたが、ほかのカードと変わらないように見えた。
「コーナーに小さな傷があるだろう。光の加減で見えたり見えなかったりするがね」
「あ、ほんとだ……。って、やっぱりズルしたんだ!」
ギーマは涼しげに笑った。
「もうひとつある。机に置くとわずかに反り返って見えないか? ……曲げておいたんだ。もう何年も前の話だよ」
「全然わからなかった……」
「無理もない。平面で比べなければ判別できないほどのカーブだからね。きみがあのときカードを置かなければ、傷ときみの表情に頼るしかなかった」
つまり、表情を読まれまいとした作戦が裏目に出てしまったわけだ。
「完敗ね」
「責めないのか?」
「自分のトランプだと思って、油断してた私が馬鹿だったの。まさかそんなに前から仕込まれていたなんて……」
私はあらためて、このしたたかな幼馴染を尊敬した。
勝ちは勝ち