「休みを取った。一泊出掛ける用意をされたし」
 サウンドウェーブから電子メールが届きました。それには、明朝迎えに行くから、雪に耐えうる服装をするようにと書き綴ってありました。
 なんと嬉しいサプライズでしょう。昨日は珍しく返信がなかったのですが、きっと仕事に片をつけていたのでしょう。私は胸を躍らせながら床につきました。

 朝です。柔らかな光の降り注ぐ庭へ降り立った彼に、私は意気揚々と乗り込みました。
 あえて行き先は聞きません。暖かなシートにもたれて、彼の飛ぶままに任せていますと、市街地を離れていくのが分かりました。窓外には自然が増え、次第に民家もまばらになってきました。
 しばらくするとサウンドウェーブは徐々に高度を下げ、静かに着陸しました。辺りは一面銀世界です。雪の降り積もった田んぼがどこまでも続き、その中を細い道が一本通っています。
 降り立つと踏まれた雪がギュッと音をたてました。冷たい空気を胸いっぱいに吸います。
「……きれい」
 その一言に尽きます。日頃街で過ごしていると、たまの大自然が特別美しく感じられるのでした。
 サウンドウェーブは錐のような指をたてたかと思うと、雪をなぞり始めました。現れたのは相合い傘です。なんと可愛らしいことをしてくれるのでしょう。
 続いて、ふたりで雪だるまを作りました。誰かがこれを見つけたなら、微笑ましい気持ちになることでしょう。それとも、人知れず融けていくのでしょうか。

 一通り雪で遊んだあと、サウンドウェーブが変形しました。どこかへ行くようです。行き先を問うと、彼は一言、温泉と言いました。
「温泉旅行に行きたいなあ」
 いつだったか、私がそう呟いたのを彼は覚えていたのでした。
 五分ほど飛んでいたでしょうか。着いたのは山奥の秘湯かと思いきや、旅館でした。
 普段、私たちの逢瀬は人目を避けているので、私は彼に不安げな目をやりました。しかし当の本人は堂々と入口へ歩いていきます。
「二名でご予約のサウンドウェーブ様ですね」
 受付の者が淀みなく、ごく自然な態度で私たちを迎えました。常であればサウンドウェーブが人前へ姿を現すと、腰を抜かされたりカメラを向けられたりするのですが、それがありません。彼が手を回しておいたのでしょう。そのためにどれほどの金銭が動いたのか気になりますが、心おきなく過ごせる計らいを喜ばずにはいられませんでした。

 通された部屋に荷物を下ろすと、サウンドウェーブは身を縮めてこたつへ入りました。日本の文化をすっかり気に入っているのを面白く思いながら、私も足を温め旅館の小冊子を眺めました。なにしろ突然のことでしたので、ここが何処かも知りません。
 冊子によると、私の住む地域から車で2時間ほどで、日帰り客と宿泊客にそれぞれの浴場があるということでした。
「家族風呂があればよかったのにね」
 私が何の気なしに言うと、彼は問題ないと言うように首を振りました。人気のなくなった頃に女湯へ行くから、と言うのです。
 仰天しました。創作物ではよく男湯と女湯が板一枚で隔てられているものですが、実際はそんな生半可な造りではありません。そう反論したのですが、サウンドウェーブは前言を撤回しません。それどころか、得意気な雰囲気を漂わせています。館内の動向を把握するのに余程の自信があるのでしょう。
 私はもう何も言うまいと決めて、テレビのリモコンを取りました。

 温泉は美肌の湯というだけあり、とても良いものでした。湯をまとった肌は陶器のように滑らかです。岩に背を預け、爪先を浮かべて波紋を作って遊んでみます。そうしてゆったりと寛いでいるうちに女性客が一人、また一人と上がっていき、やがて私一人となりました。
 すると、掃き出し窓をコツンコツンと叩くものがあります。見ればサウンドウェーブが雪をまぶした樹木の間にポツリと立っています。
 なんだか意地悪したいような気持ちになり、そのまま眺めていますと、彼は鍵を指差し「開けてくれる?」と言いたげに首を傾げました。
 あまり長い間放っておくのは可哀相に思われたので、私は湯から上がり施錠を解きました。流れ込む冷気が裸身を撫でていきます。
 一糸まとわぬ姿を恥じらうような間柄ではないのですが、それでも明るい場所だと照れくさいものがあります。
「寒かったでしょう」
 そう言うと、サウンドウェーブは私をそっと抱きしめました。外気に晒されていた彼の体がひやりとします。これが愛情表現なのか、単に私の熱を奪おうとしているのかは分かりません。私はもう一度湯船に浸かりました。

 しばらくして洗い場の椅子に腰掛けると、サウンドウェーブも椅子を引っ張ってきて私の隣に座りました。浴場は広いのに何だか滑稽です。
 洗ってあげる、と彼が言いました。洗顔料を尖った手に取り、触手の先で泡立てれば、なるほど顔を洗うには多すぎるほどの泡が出来上がりました。
 私は目を閉じて、彼のなすがままにしていました。泡の向こうでサウンドウェーブの指がそろそろと動くのを感じます。ごしごしと擦るのではなく、泡で洗うという洗顔の掟を彼は心得ているようでした。

 突然、私の脇腹を触るものがありました。彼の手は洗顔で塞がっているので、触手でしょう。それは脇腹やへそのあたり、胸の頂などをさわさわと撫でています。くすぐったくて仕方がありません。
 抗議しようにも泡を飲み込みそうなので、んんと唸ってみるのですが、くすぐりは止みません。彼の装甲を押し返した手も絡め取られてしまいます。
 視覚が遮断されているためか、いつもより敏感になっていて、私はだんだん体が火照ってきました。
(いいから、とにかく泡を流して……!)
 面白がっているであろうサウンドウェーブに強く念じると、気が済んだのか、ようやっとシャワーが顔にかかりました。
 恨みがましい目を向ければ、優しく頭を撫でられて誤魔化されてしまいます。まあ、愛しい人のすることだから、と私もすぐに許してしまいました。

 湯から上がり、浴衣をまとう際に私はサウンドウェーブの輝きに気がつきました。ガラスコーティングを施したかのように艶が増しています。温泉はトランスフォーマーにも効果があるのだなぁ、と感じ入っていると、サウンドウェーブは扇風機の前に位置取りました。のぼせたのでしょうか。
「大丈夫?」と聞けば彼はひとつ頷きました。
「いいお湯だったねぇ。また来たくなっちゃった」
 朗らかに言って、私は冷水をあおりました。身も心もほぐれた温かさが、いつまでも続くようでした。

君と一湯