君は今日も森へ来た。山菜を摘む籠を持って。
軽やかに草を踏むその足音を聞くと、私は胸騒ぎがするんだ。また、食用キノコと見誤った君に掴まれるんじゃないかと思って。
私達が出会ったあの日、私の宿主は木の根元で樹液を吸っていた。
そこへ山菜採りを言い付けられた君が通りかかって、これ幸いと私を掴んだ。
もはやこれまでと思った。
大きく成長することは叶わず、ソテーにでもされるのだろうと思った。
しかし驚いた宿主がしびれごなを撒き散らし、君は草の上に伏した。私は安堵した。
咄嗟の反応とはいえ、君の苦しむ姿に心が痛んだのか、宿主は君の痺れが取れるまで傍をうろついた。私はそんな人間など放っておいて、さっさと栄養を取りに戻ってほしかったのだが。
やがて身体の自由を取り戻した君は、自らの不注意を詫びた。そして驚くことに、宿主を撫でた。
少女が虫ポケモンを嫌うのを知っていた私は、ためらいもせず虫の体に触れる君に息をのんだ。風変わりな人間だと思った。
くすぐられた宿主は君のなすがままに任せて、嬉しそうに鳴いていた。
思えば彼はパラスの中でも臆病な質で、他のパラスに押し退けられて味のよくない木を選ぶようなお人好しだった。だからこそ、君に惹かれたのだろう。
森へ来るたび、君はパラスを探し、宿主も君を探した。
そして二人が水辺で涼み、木陰で歌をうたい、揃いの花輪をかぶるのを、私はずっと、宿主を通して感じていた。こんな逢瀬がなんのためになるのだろうと思いながら。
私は早く、大きくなりたかった。体を意のままに動かしたかった。そのためには宿主に少しでも多く、樹液を吸ってもらう必要があった。
あるとき君が宿主に話しかけるのを聞いて、私の中の何かが疼いた。
きっとそれは、君がちょっかいを出すことへの苛立ちなのだろうと思った。君が来ると、宿主は食事もそこそこに遊んでしまうから、そのぶん私の成長が遅れる。だから心がざわつくのだと、そう思っていた。
時が過ぎて、私は大きく成長した。反して宿主は弱っていった。今や体をコントロールしているのは私になった。
君の足音が近づいてきたので、私は暗く湿った木の洞に入り、息を潜めた。君に会うのが煩わしかった。
君の呼び声が聞こえたが、私は動かなかった。
しかし足音は木の前で止まり、君の顔が覗いた。洞に影が差す。
「パラセクト、ここにいたのね」
「放っておいてくれよ」
私は陰鬱な、それでいて強気な声で言った。けれど、君には伝わらない。
「なあに? 怪我でもしているの?」
君は私が洞にいるのを怪しんで、心配するそぶりを見せた。
「珍しいね。あなたがそんな所にいるなんて」
君は私を手招いて、甘い香りのするものを籠から取り出した。
「クッキーを焼いてみたの。ちょっとだけ食べてみない?」
かつての宿主なら喜び勇んで外へ出ただろうが、彼はもう、いつ意識がなくなってもおかしくない状態だ。
私が動かないので、「外はお日様が気持ちいいよ」と君は繰り返した。
その呼び掛けに応じて、私の足が動いた。私の意思によるものではなかった。こんなことはしばらくぶりだったから、慌てて動きを止めるよう命令を出した。洞の出口へじりじりと進んでいた足は、ぴたりと止まった。
彼は最期の力を振り絞って、君に会いに行こうとしているのだ。長年連れ添った相手だから、それがわかった。
ああ、わかった。出ていくとも。
私は宿主への餞別だと思って、洞の縁へ姿を現した。君がほっとしたように微笑む。
「もしかして、寝ていたのかな? 起こしちゃったのならごめんね」
君はいつものように足のあたりを撫でた。胞子がつくからか、私の本体には触れてくれない。
「今まではすぐ来てくれたから、なにかあったのかと心配したわ。でも、元気そうでよかった」
朗らかに言って、菓子を差し出す。
「はい。あなた、甘いの好きでしょう」
私は辛いほうが好きだ。
君は、私が変わったことに気づいていない。
いや、私という存在に気づいていない。
いつもそうではないかと感じていたが、今度こそはっきりわかった。君が友人として見ているのは宿主だけで、私に意思があるなどとは考えてもいない。
そのことに、なせだか無性に腹が立った。
(この感情はなんというのだ?)
積年の鬱憤が私を突き動かした。私は洞から飛び出して、君を押し倒した。
君は短い悲鳴をあげて、私の真意をくみ取ろうと必死に視線を合わせた。言葉の通じない私達は、そうするのが一番だ。
けれど、既に宿主の目は光を失っている。
「え……? なに? なに?」
それでも君は虚ろな目を覗きこむ。宿主がまだ生きていると信じているかのように。
もう、君が愛でた心優しいパラスはいない。在るのは、生存と種の保存を何よりも尊ぶ私だけだ。
「どうしたの、パラセクト。びっくりするじゃない」
困ったように君が笑った。これを宿主の可愛い悪戯だと思っているのだろうか。黒い感情がますます燻る。
私の存在を思い知らせてやろうか。彼がしないようなことをして。
私は君に覆い被さったまま、爪で頬をなぞった。すると、初めて君の瞳に怯えの色が走った。
君に胞子を植えつけてみようか。
私の種族は虫の卵に胞子を植えつけて、その命をつないできた。脈々と受け継がれてきた記憶は、人間に寄生することはないと語っていたが、ここらで試してみるのも悪くない。
その結果、私の本性に気付いたとしても、君という人は私を棄てられないんだろう。君は優しいから。
jealousy