水浴びを終えたコハクチョウが、浅瀬にきて毛繕いを始めた。
 ひっそりとした湖畔にシルビアはいた。
 いつここに来たのだろう。ふとそんな疑問がよぎって、草木の映るさざなみに目を落とした。
 よく思い出せない。
 わかるのは体がひどく重いということだけだ。少し動くだけであちこちの筋肉がきしむ。
(休暇を取ったんだっけか?)
 手がかりを求めるようにあたりを見回して――湖を臨むベンチにスーツ姿の男性を見つけた。
 合点がいった。彼がいるということは、これは夢だ。

 シルビアが近づくと彼は柔和な表情で帽子を浮かせた。
「やあ、シルビア」
「お会いできて嬉しいです。SCP-990……じゃなくて、リチャードでしたっけ」
 会話記録を思い出して、そう言い直した。
「今日はスティーブの気分かな」
「わかりました。ではスティーブと呼びます」
「いや、ジョンだな。ジョンにしよう」
「オーケー、ジョンですね。隣に座っても?」
 快諾の頷きを受けて腰を下ろす。尻に当たる木材の感触に、シルビアは夢に現実味があるのを不思議に思った。夢は一般的に記憶の整理だといわれているが、こうも感覚を伴うと普段生きている世界と変わらない気がする。
「まさかあなたが私の夢に出てきてくれるとは思いませんでした」
 驚きと畏れを込めて隣の男を見やる。SCP-990――ドリームマン。財団職員の夢の中に現れ重大な予言を残す人物だ。謎めいた言動と冷戦時代の装いが、彼が実際に存在するのかを怪しくしている。
「君に呼ばれたんだよ」SCP-990は言った。
「呼ばれた? 私に?」
「無意識の声が助言を求めていた」
「そうなんですか? 身に覚えが……」
 ない。そう言いかけて、はたと思い当たった。
 彼に訊きたかったことが、一つだけある。
「……もしかして宝くじの件ですか?」シルビアは期待に声を上ずらせた。「教えてくれるんですか? パワーボールの当選番号を」
 ドリームマンは目を瞬いて、湖に視線を移した。
 黙考する彼の様子に疑問を覚える。的外れなことを言っただろうか。でも、宝くじのほかに心当たりがない。
 もう一度記憶を検め始めたところで、SCP-990は口を開いた。
「そうだね。教えてあげよう」
「ほ、本当ですか、嬉しい!」
「パワーボールじゃなくて、少額のくじでもいいかい」
「もちろん。確実に当たるのならなんだって嬉しいです」聞き漏らすまいとするシルビアは彼のほうへ膝を寄せた。
「当たれば50ドルだ」
「おいしいものが食べられますね」
「まず起きたら■■州へ行って、■■公園の鳩にエサをやるんだ」
「■■の、■■公園に行くんですね」シルビアは脳内のメモに書き付けた。「で、鳩にエサをやると」
「次に■■へ行き、黄色い看板が目印の駐車場に車を停める」
「……ちょっと待って。交通費のほうが高くつきます」
 ドリームマンは呵々と笑った。
「それから最寄りのスーパーで品番■■のスクラッチカードを一枚買い、好きなように削ってみるといい」
「いや、行きませんよ。マイナスになるのなら」
「それでも君は行かざるを得ないだろう。私が夢に出てきたとあっては、財団が真偽を確かめたがるだろうからね」
「それもそうですね」
 この場合の交通費は経費で落ちるのかという懸念をシルビアは頭の隅に押しやろうとした。

「きみが言っていたパワーボールについては」とドリームマンは続けた。「私に尋ねるまでもないさ。君は自力で当てることができるからね」
「本当に!? 買えば当たると……そういうことですか」
「そうだとも。君が望めばね」
「なんてこった……」
 ドリームマンの予言は確かだ。シルビアの将来は今ここに確約された。 
「ただし、力の行使には相応の責任が伴うものだ。君なら正しい使い方が出来ると私は信じている」
「ええ、もちろん。よく考えます」
 財力はときに人を不幸にする。高額当選者の人生が一変してしまうのはよく聞く話だ。財産をひけらかすような使い方は当然妬まれる。
 できれば匿名で受け取り――それが可能な州ならいいのだが――使い道にも気をつけなければならない。
 もし財団職員に自分の当選を知られたら、早急にしゃしゃり出てきたブライト博士に巻き上げられるのは目に見えている。
 彼の賭けにのってはいけない。そう決意を新たにしたところで、かすかな唸り声を耳にした。
「なにか変な音がしませんか?」
「そろそろ起きる時間のようだ」
 SCP-990はシルビアに戸惑いの色を見たのか、言うべきことは話したと告げた。
「困ったときはクレフ博士を頼るといい。彼は先達だから」
「まさか、当選者なんですか?」
 あの彼が、大金を手にしたことがあって、当選の悲喜を知っているとでもいうのだろうか?
 訊きたいことは山ほどある。なのに、あたり一面が白くぼやけて、やがて何も見えなくなった。

夢現