「どうかな?」
「うーん、グリップが傷ついちゃってるね。端っこの部分が擦り切れそう」
 私はジャスティス号をしげしげと眺めまわした。
「あとペダルも傷だらけ。交換しようか?」
「ああ。頼むよ」
「じゃあグリップとペダルの交換をして……」カウンターへ歩いていき、領収書にペンを走らせた。「ブレーキとチェーンの点検、これはサービスで」
「いつもありがとう」
「どういたしまして」

 日が傾くころ、うちの店に自転車を持ち込んだ無免くんは、ジャスティス号と同じように傷を負っていた。
 彼が言うには、引ったくりを捕まえる際にジャスティスクラッシュ――自転車を投げつける必殺技――をお見舞いしたらしい。そのあと犯人ともみ合ったそうで、頬が赤く腫れている。
「でも、大ケガじゃなくてよかったね」
「これくらいどうってことないさ」無免くんは爽やかに笑った。「誰かを守れるなら、俺はどうなったっていい」
 ほら、またそういうことを言う。私は少しだけムッとした。彼の頑張りで街の治安が良くなるとわかっていても、私は彼のことが心配で仕方がないのだ。もっと自分を大切にしてほしい。
 でも無免くんのまっすぐな正義感は昔からのものだから、私が何を言ったところで彼は悪者に立ち向かっていくのだろう。
(まあ、そういうところが好きなんだけど……)
 私はスパナを回してペダルを取り外しながら、無免くんを覗き見た。
 彼はなにやら怪しいラベルの缶ジュースを取り出して、プルを開けた。それを一口飲むや、表情に暗雲がたちこめた。そして意を決したようにごくごくと飲んで、苦しげな呻きをもらした。
(美味しくないのかな)
 無理に飲むことないのにと笑いをこらえつつ、私はグリップの交換に取り掛かった。

 最後に車体をウエスで拭いて、作業を終えた。達成感を胸に、まだ缶ジュースをちびちび飲んでいる無免くんに声をかける。
「終わったよ」
「ありがとう。見違えるほど綺麗になったね!」
 彼は眼鏡の奥の目を細めて、ジャスティス号を愛おしそうに見つめた。
「いちおう修理屋として忠告しておくけどね。自転車を投げなければ、こんなに傷まないんだよ」
「わかってる。でもジャスティス号は大切な仲間なんだ。だからこそ一緒に戦ってる。……ユメならわかるだろ?」
「まあねえ……」
 ジャスティス号は無免くんの親友であり同志と言っていい。それこそ私よりも無免くんとの付き合いが長い。彼の活動に付き合って、ときに危険に晒されても全壊することなく生還してくるのは、無免くんの想いに応えているかのようだ。
 それに無免くんも、普段はジャスティス号を優しく取り扱っているから、もう小言は言わないでおく。

 会計をすませて帰り支度を始める彼に、
「ねえ、バイクには乗らないの?」と何気なく訊くと、
「“無免”ライダーじゃなくなるだろ」
 無免くんは笑った。
「それに……」
 彼はヘルメットの顎紐を締めて、ゴーグルを着けた。窓越しに差し込んできた夕陽が、無免くんの顔をほんのりオレンジ色に染める。
「君に会えなくなるから」
 小さく聞こえた彼の言葉に、私は息をするのを忘れた。
 今やヒーローの格好に戻った無免くんの口元が、緊張したようにぎゅっと結ばれて、
「じゃあ、また」
 私が何かを言うより早く、彼は店のガラス戸を閉めて行ってしまった。

「うちはバイク修理もやってるから」とか、「いつでも会いに来てくれていいのに」とか、色んな言葉が浮かんできたけれど、彼を追いかけてまで言う勇気が持てなかった。
 遠回しの告白にどう答えるかは、次に会うまでの課題だ。

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