SCP-166の担当を離れてから数日経っても、シルビアのテンションはローギアに入ったまま、上昇する気配を見せなかった。
 この日も傷心のなかでランチをつついていると、
「何か悩み事でも?」
 斜め向かいの席から声がかかった。ゆっくりと視線を移した先には、SCP-073がいた。シシケバブを食べている。
「やあカイン。私はそんなに浮かない顔をしていたかな」
「ああ。いつもなら陽気なオーラを煩いほど振りまいているのに、それがないから」
 シルビアは褒められているのか、からかわれているのか分からなかったが、気にしないことにした。
「ちょっと相談にのってほしいんだ」
「いいよ。何かな」
 隣の椅子を引き、カインは身体とトレイをずらした。シルビアは事の顛末を話した。
「なるほど、そんなことが……」
 カインは思慮深く頷いた。
「二人の噂は聞き及んでいたよ。姉妹のように仲がいいとね。それが別れたとなれば、さぞ辛いだろう」
「もうあの子の笑顔を見られないと思うと、なかなか元気が出なくてね……」
 シルビアは深いため息をついた。胸が不思議な寂しさで満ちている。
「でも、気持ちを切り替えようとはしてるんだよ。今は166と新しい担当がうまくいくように祈ってる」
「前向きだね。それでこそ君だ」
 カインの言葉に、つかのまシルビアの顔が綻んだ。

「でね。問題は、なぜ私が彼女の影響を受けたのか、だよ」
「それは私も気になった。166が惹き付けるのは男性のはずだけど」
「なぜ女性職員のうち私だけが例外だったのか……。自分なりに考えてみたんだけど――」シルビアは声を潜めた。「私が、野郎の側に片足を突っ込んでいるせいじゃないかと思う」
「それはどういう……?」
「警備員は男性の比率が高いだろう。休憩しようとコーヒーを淹れれば、こういった会話が聞こえてくるわけだ。あの研究員いいケツしてるな、たまらんな……」
「私もときどきそういう会話を耳にする」
 至って真面目な様子で、カインが頷いた。
 シルビアはテーブルへ視線を落とし、薄く笑った。
「その環境に私は順応してしまったんだろうな。初めは気恥ずかしかったのに、今ではそうだな、と頷くようになってしまった」
「なるほど」
「この男っぽさを矯正すればまたあの子に会えるかも――」シルビアは首を振った。「まあそれは無理としても、まるっきり女を捨ててしまうのは、なんだか勿体無いような気がしてね」

「つまり、女性らしくなりたいと?」カインが訊いた。
「まあ、そうだね。うん」
 答えるシルビアは照れてしまって歯切れが悪い。
「それなら見た目から入ってみては? 女性らしい服を着てみれば、気分が華やぐかもしれない」
 シルビアはハッとして、己の黒い制服を見やった。
「確かに……ここ数か月、シャツとスラックスしか身に着けた覚えがない」
 カインの口元に笑みが浮かんだ。
「君に合いそうな服がある」
 そう言って合成紙で刷られたファッション誌を持ってくると、金属の指先でページを繰った。一度目を通して内容を記憶しているのだろう。すぐに目的の部分を開いた。
「これさ」
 指差したのはペンシルスカートだ。白いシャツと着合わせたモデルが、涼しげな顔で写っている。
「うーん……普段こういうの着ないから勇気が要るなあ。何か着る理由があればいいんだけど」
「理由……」
 小さく呟いたカインは顎に手をやった。
「では、私とお茶しよう。いつもと違う君を見たいから、スカートで来てくれると嬉しい」
 シルビアは驚いて、カインの青い瞳を覗き込んだ。「本気で言ってる?」
「本気さ。嘘をつく理由があるか?」
 まっすぐな瞳を見るに、冗談ではないようだ。おそらく、彼にとっては財団の仕事を手伝うのと同じことなのだろう。特別な意味はない。
 でも、これではまるで、まるで……。
(デートみたいじゃないか)
 シルビアは自分の考えにくらくらしてきた。同時に、異性に対して高鳴る胸があることに安堵した。

Kindness