見覚えのない天井だ。
(あれ……私……どこで寝たんだろう)
 霞のかかった頭で記憶をたぐり寄せる。布団のなかで横を向き、小さなチェストを見て、ハッとした。竜王の城にいるのだ。
 布団を跳ね上げてベッドを降りる。5メートルもない部屋の端へ行き、水桶の水で顔を洗った。
 頭が冴えた。そのせいで自分の置かれた環境を――背負った重圧をはっきり認識してしまった。
 ため息をこらえる。着替えないといけない。

 調理場に着くと、既によろいのきしが銀食器を磨いていた。
「ア、おはよう」
「おはようございます。遅くなってすみません」
「いいや。遅くないよ」
 彼の穏やかさにホッとするも、仕事である以上、甘えは禁物だ。
「本当は騎士さんよりも先に来たかったのですが……」
「熱心だねぇ」騎士は感心した風に言った。「でも、そんなに頑張らなくて大丈夫だよ。いつも通り、ラダトームでやってたみたいに働いてくれればいいんだ」
「そう……ですね」
 仕える主がまるで違うのだが、緊張のしすぎはよくないかもしれない。シェリーは以前の感覚を思い出そうと肩を回した。
「それじゃ、トーストを作ろう」
 銀食器をしまって、よろいのきしはパンを一斤持ってきた。3センチほどの厚さに切ったものを2枚、熱したフライパンに並べる。数分かけて両面を焼き、小鉢にジャムを添えた。
「ね、簡単でしょ?」
「はい。私にもできそうです」シェリーは頷いた。「竜王様をお呼びしましょうか?」
「いや、朝食は寝室のテーブルで召し上がるんだ。一緒に行くかい?」
「わかりました」
 ふたりは竜王の寝室へ歩いて行った。プライベートな空間に踏み込むのは初めてで、なんだかドキドキする。
 騎士がノックをして扉を開けると、竜王はちょうど椅子に座るところだった。
「おはようございます、陛下。朝食をお持ちしました」
 騎士に続いてシェリーも朝の挨拶をした。竜王が頷く。寝起きだからか、眉間にしわが寄っているのが少し怖い。
「ごゆっくりお召し上がりください」
 そう言い残して退室した。調理場に戻り一息つく。
「シェリーさんも朝食にしたら?」
「そうします。よろいのきしさんも食べますか?」
「俺は食べなくても大丈夫。遠慮なく食べて」
 シェリーは先程の騎士を真似てトーストを作った。席について、パンにモモガキのジャムを塗る。一口かじれば優しい甘みが口に広がった。
 竜王様と同じものを食べているのだなぁ、と不思議な感慨にひたる。種族は違っても、何か通じるものがあるのかもしれない。そうであればいいと思いながらシェリーは食事を終えた。

 竜王と自分の使った食器を洗い、午前中はよろいのきしに教えてもらって食堂の掃除をした。昼時にはふたりでかぼちゃのリゾットを作って竜王に出した。なかなかうまいとの評価にふたりは安堵した。
 午後は城の掃き掃除をして、燃え尽きたろうそくを新しいものに替えた。
 夕方からは夕食作りが始まり、ふたりは協力して白身魚のムニエルをこしらえた。
 食堂へ竜王が来たのを見るや、調理場に引っ込んだシェリーはサラダとメインディッシュを運んだ。我ながら攫われてきた翌日だというのによく働く。持ち前の性格がそうさせるのか、それとも主への恐怖がそうさせるのか――おそらくその両方だろう。
「これはシェリーが作ったのか?」
 席についた竜王が尋ねる。
「いえ、おもにワタシが」よろいのきしは答えた。「何か気になる点でも」
「いや」
 食べ進めた竜王は白身魚に添えられたトマトソースを口に運んだ。
「いつものソースと違うな」
「あ……それは私が作りました」シェリーは控えめに言った。「お口に合いませんでしたか?」
「いや。うまいぞ。もっとないのか?」
「ただいまお持ちいたします」
 シェリーはソースの入った瓶を持ち出して、竜王の皿にふんだんにかけた。まさか好評を博すとは思わず、少しだけ手が震えた。
 明日の仕事も頑張れそうだ。確かな手応えを胸にシェリーは調理場に戻った。