夕刻、竜王の間に足を踏み入れたシェリーは、玉座にいる主が寝息をたてているのに気付いた。この城へ攫われてから初めてのことだ。
 手を伸ばせば触れそうな距離に近づいても、まだ竜王は眠っている。あの恐ろしい眼は瞼に隠れ、紫色のローブに包まれた胸がゆっくりと上下している。
 あまりにも無防備な姿に、シェリーは、今なら彼を討てる気がした――が、すぐにその考えをかき消して頭を垂れた。寝込みを襲う勇気も、武器も持ち合わせていなかった。
「竜王さま、お食事のご用意ができました」
 シェリーが告げると、竜王はピクリと肩を跳ね上げた。眠気を覚ますように顔を振り、
「……うむ」
 おもむろにシェリーの前を歩き始めた。遠く離れた食堂に向かうのだ。
「今宵のメニューはなんじゃ?」
「黒地鶏のガーリック蒸しと茸のスープでございます」
「ほほう、そうか。楽しみじゃな」
 竜王の声が優しくなった。
「昨晩の黒パンも美味であった。そなたの作るものはどれも味がよい」 
「お褒めにあずかり恐縮です」
 シェリーの口元に浮かんだ笑みは二秒とたたずに消えた。
 自分はこのまま囚われの給仕人として生きていくのだろうか……。
 そう思うと気分が塞いだ。
 やがて城の廊下が途切れ、水に浮かぶ砂州に差しかかった。
 草地と毒の沼地が点在する道を、竜王はこともなげに歩いていく。一方のシェリーは、毒を踏まないよう苦心して足を運んでいた。一瞬でも毒に触れれば焼け付くような痛みが走るからだ。
 なぜこんな造りになっているのか知らないが、食堂と王の間を行き来するにはこの砂州を渡らなければいけないのだった。人の身には酷である。
「あの……。一つ、提案があるのですが……」
「なんじゃ、申してみよ」
 振り返った竜王の鋭い眼光に身をすくめながらシェリーは言った。
「王の間と食堂をつなぐ通路を作ってはいかがでしょうか。竜王さまの移動に便利です」
「ふむ……そうかもしれんな。だがこれしきの距離、苦ではないぞ」
「しかし、食事のたびにご足労をおかけするのは心苦しくて」
「気にするでない。食前と食後の運動にちょうどよいではないか。それに、わしはそなたと歩くのが楽しみでな」
 予想外に運動を好む竜王に薄い笑みを返しながら、シェリーは悪路を往復する覚悟を新たにした。