短い夢を見た。ひとりの青年がラダトーム王に謁見し、城から旅立つ――そういう夢だった。
 もしかして勇者が現れたのだろうか。
 妙にリアルな感触だったので、シェリーはたかが夢と片づけられないでいた。朝食を作る時も、運ぶ時も青年の姿を反芻した。そうしてぼんやりしていたから、毒の沼を踏んづけてしまった。
「……ッ!」
 盆をひっくり返さなかったことを褒めたい。汗のにじむ手のひらで朝食の重みを支え、うっかりした足を紫の大地から引き抜いた。
 痛みは取れたものの疲れが全身を襲う。
 こんなことをしている場合ではない。シェリーは息を詰めて足を運んだ。
 ノックをして竜王の返事を確認し、部屋へ入る。
「おはようございます。竜王様。今朝はよい天気ですね」
「うむ。昨夜の長雨が嘘のようだな」
 寝台から降りてテーブルにつこうとした竜王は、シェリーを見て怪訝そうな表情をした。
「シェリー、そなた……具合でも悪いか?」
「いえ? 問題ございませんよ」
 努めて平常を装いながら、トーストとジャムをテーブルに置く。ピッチャーから水を注ぐ時も、竜王はシェリーを注視していた。
「やはり……何かあった気がするぞ」
 念を押されてシェリーは口を開いた。
「実は……ぼんやりしていて毒の沼を踏んでしまいました」
「そうか。大変だったな」竜王は穏やかに言った。「そこに座るがよい」
 言われた通りに腰かけると、そばに来た竜王がシェリーの脚に手をかざした。目を閉じて精神を集中させる。すると、シェリーの全身が淡く光り輝いた。倦怠感が消え失せていく。ベホイミだ。
 シェリーは目を見張った。
「とても楽になりました……! ありがとうございます」
「よかったな」
「竜王様は……回復魔法も扱えるのですね」
「当然だろう。回復もできなければ王とは言えまい」
「流石です」
 魔法の効果なのか、シェリーの胸は不思議な高揚感に包まれた。席につく竜王を敬慕の眼差しで見つめる。
 これではっきりしたが、この城で出会った魔物はそれほど悪い人たちには思えないのだ。
 自分が敵意を向けられる対象から外れているから優しいだけかもしれない。
(だけど……)
 人と魔物はわかりあえるのではないか。そんな幻想を抱いてしまう。
「……それでは、私はこれで失礼します。ごゆっくりお召し上がりください」
「シェリー、そなたはここに残れ」
 席を立ったシェリーは耳を疑った。
「お邪魔ではないですか?」
「まあ座れ。そう畏まらずともよい」
 竜王はゆったりとトーストにジャムを塗って、「食べるか?」とシェリーに差し出した。
 ためらいながらも受け取り、
「ありがたく頂戴いたします」
 一口かじった。ジャムの甘みが香ばしいパンと合わさって、なかなかおいしい。
 もう一枚のトーストを咀嚼する竜王と目が合う。いつもならその眼光に萎縮するところだが、今日はなんだか、金色の瞳が美しいとさえ思ってしまった。
 思いがけず穏やかな時間が持てたことをシェリーは密かに喜んだ。