密かにホームシックに陥ったシェリーは、なんとかラダトームに帰れないかと思考を巡らせた。
 すると、キメラのつばさにルーラの効果があるのを思い出した。
 昼食の呼び出しの際に、期待を込めて隣を歩く竜王に尋ねてみる。
「この城にキメラはいないのですか?」
「なぜじゃ」
「いえ、その……空を飛ぶ様子が興味深いと思いまして。人間には翼がありませんから」
「そなたが魔物に興味を持つとはな。わしは嬉しいぞ」
 竜王は微笑んだ。我ながらうまく誤魔化せたなとシェリーは安堵した。
「だがキメラはドムドーラのほうへやってしまった。呼び寄せるのはちと時間がかかるぞ」
「構いません」
「なんなら、わしの翼を見せてやろう」
「え?」
「真の姿を見せてやると言っているのだ」
 話が飲み込めずに呆けているシェリーをよそに、竜王は前かがみになった。むくむくと体が大きくなって、頭部には赤い角が生えた。マズルとなった大きな口には鋭い牙が並ぶ。みるみるうちに紫紺の竜が姿を現した。
「あ…………」
 シェリーはぺたんと座り込んだ。これまでの人生で一番の恐怖だった。
 しかし、竜は目立った動きを見せずに静かに伏せた。シェリーと自身の背中とをちらちらと見比べる。乗れということだろうか。
 この竜は共に穏やかな時間を過ごしたあの竜王なのだと思い直し、シェリーは恐る恐る背中にまたがった。固い鱗をそっと撫でる。
 竜王は体を起こすと翼をはためかせ、城を飛び立った。シェリーは悲鳴を飲み込んだ。
 あっという間に竜王の城が小さくなり、島の外の海へと飛び出した。どうやら南西に向かっているらしい。
 しばらくすると砂漠の中の廃墟が見え、竜王はその中に降り立った。ドムドーラという魔物に滅ぼされた町があるとシェリーは聞いたことがあった。竜王の背から降りて、あたりを探索する。
「あ! キメラだ」
 ハゲタカの頭部とヘビの胴体を持つ魔物が数体、ふわふわと浮いていた。
 シェリーはあたりに抜け落ちた翼がないか目を皿のようにして探したが見つからず、かといってキメラから翼をもぎ取るわけにもいかず、
「わ、わぁー。本物のキメラだ。かわいいですね」
 竜王に向けて感想を述べた。
「でも竜王様の翼のほうがご立派ですね」
 そう付け足すと竜王はフンと鼻を鳴らした。諦めたシェリーがそばに来たのを見て身をかがめる。背中に乗ったのを確認して竜王は再び飛び立った。
 今度は南東へ飛んで行く。大河を挟んで別の大陸の上空にさしかかった。
 飛行に慣れてきたシェリーは風景を楽しめるようになってきた。海や草原、森が複雑に入り組む様を眺めるのはなかなか悪くない気分だ。自分が世界の覇者になったかのような気分になる。
(これが竜王様の世界なのだなぁ)
 シェリーが感動していると、竜王は切り立った山の頂上に着陸して羽を休めた。
 眼下にある城壁に囲まれた町はメルキドだろう。涼しい風が吹いて、シェリーの髪を揺らしていった。
「世界はこんなにも広かったのですね、竜王様。私はラダトームから出たことがなかったので、自分がいかに狭い世界で生きていたのかを知りました」
 竜王はゆっくりと二三頷いて、また飛び立った。海を挟んで森に覆われた大陸が見えてくる。中央には湖があり、その中に町があった。リムルダールだ。
 ドムドーラやメルキドといい、話に聞いていただけの場所をこの目で見ることができて、シェリーは嬉しかった。欲を言えば町に入ってみたかったが、今の立場上それは難しいのだろう。
 竜王は旋回して北西を目指した。居城と共にラダトームの町が近づいてくる。シェリーは郷愁に駆られた。
 近いけれど遠い故郷を思っているうちに、城の中庭に着いた。少しの寂しさはあるが、確かな満足感が胸に満ちている。
「ありがとうございました。竜王様」
 シェリーを降ろした竜王の体はまたたく間に縮んで、元の人型に戻った。こちらの姿のほうがいいなぁとシェリーはそっと思った。
「キメラを見られてよかったな。シェリー。何か問題はなかったか?」
「問題ありませんでしたよ。まさか空の散歩ができるとは思いませんでした」
「飛びたくなったらいつでも言うがいい」
 朗らかに言う竜王に頷いて、シェリーは食堂へと歩き出した。