城が寝静まる頃、シェリーは密かに居室を抜け出した。夜気の中を忍び足で急ぐ。目指すのは裏庭だ。
 月明かりを頼りに暗い城内を進むと、少し離れた場所に見張りの魔物たちがいて、談笑していた。
 もし見つかったら、「眠れなかったから歩いていた」とでも言えば最悪の事態にはならないだろうが、逃走の疑念を抱かれて見張りがつくのは避けたい。
 シェリーは闇にまぎれて裏庭に滑り込んだ。あたりに人影がないのを確認して、城壁の陰に隠しておいた丸太を取り出す。
 それはシェリーの背丈くらいの大きさだった。八本ある。まき割り係に懇願して少しずつ貯めたものだ。その丸太を静かに地面に横たえ、平行に並べた。持ち出してきたロープで固く結びつけていく。 
「よし、もうすぐ完成だな……」
 イカダを眺めたシェリーの心は浮き立った。もうすぐここを出られるかもしれない。城の周りの水辺に乗り出せば、おそらくどこからか外海に出られるだろう。
 いまごろ家族は何をしているだろうか。ラダトーム王は健在だろうか。町は変わらず賑やかだろうか。
 その時、背後に存在感のある気配が現れ、シェリーは冷や汗が止まらなくなった。音もなく忍び寄った影を恐る恐る振り返れば、案の定、怪訝そうな顔をした竜王が立っていた。
「何をしている?」
「調理用の薪を作っているところです」
 苦しい嘘だった。とっさに口から滑り出た言葉とはいえ、斧もないのに何が薪か。
「イカダ……か」竜王は丸太を一瞥した。「逃げ出すつもりか?」
 シェリーは見つかった恐怖から言葉が出ないでいた。折檻されるだろうか?
「とてもイカダで航れる海峡ではないぞ。知っておるだろう」
 呆れた様子で竜王が言った。
 本当はわかっていた。それでも希望を託したかった。
「最悪、難破してもラダトームの海岸に流れ着くかもしれません」
「なぜそれほど帰りたがる? わしの城にいるほうが安全であるのに」
「確かに、ここで務めを果たしている限り身の安全は保障されます。けれどいつ終わるかもわからない幽閉で、家族や友人たちとは離ればなれです」
「……嫌か」
 竜王の声があまりにも小さかったので、シェリーは聞き取ることができなかった。
「なんと?」
「わしといるのはそんなに嫌か?」
 シェリーは頷くのをためらった。竜王といた時間すべてが嫌なわけではない。むしろ楽しい時間も多かった。だがここで主張しなければ、故郷の土は一生踏めない。
「……帰りたいです」
 そう言うと、竜王の指から炎がほとばしり丸太に燃え移った。夜闇の中でオレンジ色の炎がごうごうと燃え盛る。そばにいるシェリーは熱いくらいだった。
「許せ、シェリーよ。命を捨てるような真似をみすみす見逃してはおけぬ」
 金色の瞳がまっすぐにシェリーを見つめる。
「わしにはそなたが必要なのだ」
 突然の告白にシェリーの心は揺れた。どう返事をしていいものか迷っているうちに、竜王は踵を返した。
「そなたも早く寝るといい」
「……はい。おやすみなさい。竜王様」
 イカダの炎はまだ周囲を明るく照らしていた。