03
連行された先は、空に浮かぶ艦艇だった。エレベーターのドアが開き、ジェニーは警備兵に押され一歩踏み出した。
艦内は暖かな山吹色の光で満ちている。だが、雰囲気はぴんと張りつめていて、居心地が悪い。艦橋には警備兵やスキンヘッドの男たちが数名いるのだが、彼らは黙って与えられた仕事を淡々とこなしている。
もうひとつドアをくぐると、広間に出た。ひときわ目を引くのが、横20メートルはありそうな大きな窓。と、窓際にたたずむ人物だ。黒のコスチュームに、黄色いラインが優美な曲線を描いている。広間の中で彼だけが悠然と構えており、どこか威厳を感じさせた。ジェニーは、彼がこの世界の権力者だろうと見当をつけた。
男がジェニーに向き直った。普段着が珍しいのか、黒いバイザー越しに無遠慮な視線をぶつけてくる。
「おまえは誰だ?」
「ジェニー・ミレン」
こういう時は最小限の返答をし、様子をうかがうに限る。
「ジェニーか。どうしてここへ来た?」
「フリンさんの新作を知りたくて」
と答えたところで、ジェニーは当初の目的を思い出した。
「そうだ、フリンさんはどこ?」
「それはわたしも知りたいな」
やや笑ってそう言ったかと思うと、顔を覆っていたバイザーが折り畳まれるようにして消えた。
「フリンさん!」ジェニーは慌てた。「その、勝手にパソコンを使ってごめんなさい。みんな心配してますよ」
「向こうではどのくらい経つ?」
「丸一日ですね」
「一日姿が見えないだけで騒ぎになるのか」
ふっと鼻で笑う彼に違和感を覚えた。しかし、逃避願望は誰もが持っていると思い直す。有名人にも休息は必要だ。
「そろそろ戻られては? 息子さんも寂しがっているかと――」
「わたしの息子ではない」
予想だにしない言葉だった。ジェニーが口をぱくぱくさせていると、彼は傍らに控えていた腹心に命じた。
「連れていけ」
*
ジェニーは体を包んでいる黒タイツをつまんだ。素材はゴムと皮革の中間といったところだろうか。密着度が高いわりに、着心地は悪くない。不思議と肌になじむ。
ただ、体の線がもろに出ることが気がかりだった。自分は、この服を着せてくれた美女のようなスタイルを持ち合わせていないのだ。
上昇を続けていたリフトが地上に到着した。
目の前で待ち構えていた男を見て、ジェニーはくよくよ思い悩むのをやめた。彼でさえ着こなしているのだ。何の問題もない。
狡猾そうな顔をした男はジャービスと名乗った。主から指示があったらしく、玉座艦に戻る道すがら説明を始める。この世界と、フリン、クルーのこと。
彼の話が本当なら、フリンが夜な夜なゲームセンターに通っていた訳が説明できる。
(でも……)
ジェニーはジャービスの青白い顔を眺めた。フリンがこの世界で圧政を敷いたというくだりは、どうも納得がいかないのだ。記憶の中で屈託なく笑う彼は、そんなことをする人物ではない。買いかぶっていると言ってしまえば、それまでだが。
「――それで、やつはこのグリッドに閉じこめられた。もっとも、おまえがポータルを開いた今は、脱出しようとするだろうがな」
物思いに耽っていて聞き逃しそうになった。
「待って。閉じこめられるってどういうこと?」
「ポータルは1マイクロサイクルで閉じる。しかも、こちらからは開けられない。自分で入ったくせに知らんのか?」
ジェニーは耳を疑った。
「こうしちゃいられない! 早くそのポータルとやらに行かなきゃ、ジャービス!」
「そう焦るな。フリンのディスクなしにはポータルを通れんぞ」
今度はさっと血の気が引いていくのがわかった。クリックひとつでログアウトできるような気がしていたのだが、現実は甘くなかった。
ジェニーは玉座艦に着くやいなや、広間に駆け込んだ。
「クルー! 私、ポータルに行かなきゃ! むこうの世界に帰らないと!」息を切らしながら言葉を続ける。「だから、フリンさんを探しに行く」
「我々が2ヶ月間、捜索を続けていることは知っているな?」
「聞いた。けど、あと8時間しかないんでしょ。何もしないのは嫌」
「探すあてはあるのか」
クルーに問われ、ジェニーは返答に詰まった。
「勘、かな。ユーザー同士、何かピンとくるものがあるかもしれない」
「おもしろい。やってみろ」
そう言った口元には、笑みが浮かんでいた。
「リンズラー。行ってやれ」
と、黒ずくめの戦闘員に声をかける。
無言のまま首肯した人物は、ジェニーの手を引くと艦橋の収納スペースからベルトを取り出すなり、ふたりの腰を結んだ。ジェニーは異性と手が触れ合っただけで赤面するような女ではないが、これにはたじろいだ。
「なにしてるの?」
その問いに答えることなく、彼は開口部から身を投げた。つられてジェニーも艦橋から飛び出す。突然の落下にジェニーは悲鳴をあげ、もうだめだと目を閉じた。だが、ベルトの先のリンズラーが身じろぎしたかと思うと、いつの間にか生成されたジェット機に乗っていた。バイクのふたり乗りさながらに、体が密着している。
「今のダイブは必要なの!?」
黒い背中に怒鳴ってみるが、やはり反応はない。ジェニーは息を吐いて、ポータルの右側を指さした。
「じゃあ、あの辺行ってみよう。……なんとなく」
我ながら、なんと不確かな理由だろうか。
下に広がる景色をぼんやりと眺める。すでに都市の中心部は過ぎ、青く輝く建物の終わりが見えている。あとは、黒い荒野が果てしなく続く。
(なんて広いんだろう)
ジェニーの中で高ぶっていた気持ちが、穴を開けた風船のようにしぼんでいった。8時間で見つかるはずがない、と弱気な自分がささやく。次第に、もとの世界へ帰れないという事実が、痛みをともなって重くのしかかってきた。勘だなんて、よく言えたものだ。
(私、帰れないの……?)
目の奥が熱くなる。とっさに上を向いたが、涙が眼球を押し上げて、溢れた。押し殺した嗚咽は、しばらく止まりそうになかった。