Spectrum blue

Photo by 青柘榴

05

 ジェニーに課された仕事は、引き続きフリンを捜索することだった。バトンから生成される乗り物を使いこなし、アウトランドの果てまで彼を追う。そして彼を見つけた暁にはすぐさまその場所を知らせる。
 この広大なグリッドではいつ終わるとも知れない仕事だったが、時間は十二分にあった。
 これには白いライトジェットが飛行することで、フリンの動きを誘発する狙いもあった。もうひとりのユーザーが自分を探しているとなれば彼がどんな反応を示すか、クルーはそれを試そうとしたのである。

 クルーに指示されたのはディスクの強奪だったものの、ジェニーは創造主であるフリンと話し、なんとか脱出の糸口を探るつもりでいた。創造主である彼なら何かしらの手段を持っているだろうと一縷の望みを抱いていたのである。
 クルーとジェニーの目的は違ったが、それでも承ったのは、任務に就くことで、寄る辺がないこの世界で身元が保証されるからだった。

 何はともあれ、まずは住居を案内されることになった。お目付け役はジャービスに決まった。クルーに指示されたときは快諾したように見えたが、ふたりきりになると手の平を返したようにむっつりと黙り込んで、嫌そうにこちらを一瞥した。
 ジェニーはエレベーターシャフトを降りながら、斜め前にたたずむ禿頭に不機嫌な声をぶつけた。
「なんであんたなの」
「私が適任だからに決まっておろうが」
「はあ……リンズラーがよかった」
「やつはゲームで忙しい」
 正直なところ、ジェニーはジャービスを好きになれなかった。クルーには媚びへつらうくせに、ジェニーやほかのプログラムには高圧的なところが印象を悪くしていた。
 当の本人は狭いエレベーターの中で不自然なほどジェニーから距離を取っている。
「あのさあ、別に私、病気とか持ってないけど」
 ジャービスは無反応だ。まあ、近づいてほしいわけでもないのだが。
「最初はあんなに話してくれたのに」
「あれは仕事だったからな」
「さいですか」

 エレベーターを降りて外に出ると、レコグナイザーがあたりを浮遊していてジェニーは緊張した。あれにはいい思い出がない。
「私あれに捕まったけど、ユーザーじゃなかったらどうなってたの?」
「はぐれたプログラムは修正されるかゲームに送られる」
「ゲーム?」
 いずれわかる、とだけ言ってジャービスは歩を進める。やがてたどり着いた建物にふたりは入った。エレベーターで最上階に行き、ドアを開ける。
「わあ……なんだか殺風景だね。それに広い」
 てっきり6畳間を案内されるかと思っていたジェニーは思わず感嘆した。ひとりには広すぎる部屋で、おまけに景色もいい。けれども年頃の女子としてはぬいぐるみのひとつやふたつ欲しいところだ。
「先払いだ。働いて返すのだぞ。必ずやフリンを探し出すのだ」
「ねえ、何かインテリア小物があるといいと思わない? あと時計と日記帳も欲しいんだけど」
「日記? そんなアナログなものが必要か? すべてはディスクに記録されるのだぞ」
「そうだけど……」
 ジェニーは言葉に詰まった。慣れ親しんだ本に触って、ここでのことを記録すれば気が紛れるかと思ったのだ。仕事を得たとはいえ、まだある心細さがそう思わせた。
 ジャービスは大きなため息をつくと「旧市街へ行くぞ」と言った。

     *

 ジェニーが必要とした物はジャービスには不要な物だったが、主に「必要な物を揃えてやれ」と仰せつかった以上、彼女の希望に添うしかなかった。
 手を抜いて密告されてはたまらない。ジェニーは日が浅いのに、クルーに一目置かれているのだ。しかも彼女が来てから閣下の機嫌がいい気がする。それがジャービスには面白くない。

 不満を飲み込みつつ雑貨店に向かう途中で、ふたりは白いコスチュームのプログラムに出会った。
「ユーザーがいるという噂は本当だったか」
 面倒な相手に捕まった、とジャービスは眉根を寄せた。プログラムはジェニーの前に躍り出ると、大仰なお辞儀をしてみせる。
「わたしはキャスター。クラブ〈エンド・オブ・ライン〉のオーナーだ」
「私はジェニー。えっと……クルーのもとで働いてる」
「ユーザーを間近で見るのはいつぶりだろうな。ふむ、実に可愛らしい。クルーが目を付けるわけだ」
 満更でもなさそうにジェニーは表情を緩める。
「人聞きが悪いな」
「おおジャービス。気を悪くさせたようですまない」キャスターはにこりとした。「ものは相談だが……彼女を借りられないかな? 空いた時間にでも店に来てもらえれば、良い客引きになると思うのだが」
「無理だろうな」
「それは残念だ。また店に来てくれ! 一杯奢るよ」
 立ち去るキャスターを見送りながら、ジェニーは「こっちにもクラブがあるんだ」と興味を引かれたように呟いた。

 ようやく目当ての店に到着したふたりは雑多に物が並ぶ店内を眺めた。古い本に、布でできたクッション。ぬいぐるみもある。およそグリッドには似つかわしくない埃っぽい品々にジャービスは耐えられなくなり、店の外に出た。外壁にもたれて目を閉じ、時間が過ぎるのを待つ。
 20分もすればジェニーが出てきた。購入した商品をふたつの手提げ袋に入れて持っている。
「用は済んだか」
「ありがとう。いい買い物ができた」
 満足げなジェニーを見やって、ジャービスは踵を返した。もう任務は終わったが、帰る方向が同じなのでふたりは連れ立って歩いた。

 すると警備兵たちがある建物を取り囲んでいた。聞けば反体制派のプログラムが例のアイソーを匿っていたのだという。
 野次馬にまぎれてジェニーが建物の中を覗いたとき、警備兵は手にしたロッドでアイソーたちを消去した。プログラムの砕け散る音があたりに響く。
 ジェニーは動きを止めて無数のガラス片を凝視した。ディレズの現場を初めて見たのだろう。何か言いたげに口を開くが、言葉にならない。
 警備兵たちは建物の調査を終えると、すぐにその場を立ち去った。あとには立ち尽くすジェニーと野次馬たちが残される。
「何を呆けている?」
 見かねたジャービスが声をかける。ジェニーは視線を動かすのにも時間を要した。
「プログラムが、死んじゃった……」
 細い声でぽつりとこぼす。ジャービスは床に広がる破片を嫌そうに跨いでジェニーの肩を叩いた。
「帰るぞ」