Spectrum blue

Photo by 青柘榴

07

「いつまでもリンズラーに掴まってるわけにはいかないから」
 ジェニーが決意を込めた目で指導を頼んできたとき、リンズラーは一抹の寂しさを覚えた。別段ふたり乗りが嫌なわけでもなく、背中に触れるジェニーが心地よかったのだが、捜索に加わるとなればそうもいかない。
 リンズラーは頷いた。
 まずは、何かの役に立つかもしれないということで、ライト・サイクルの乗り方を教えることになった。

 ジェニーはゲーム・グリッドは初めてのようで、その広さに圧倒されたようだった。いつもなら数万人のプログラムたちで賑わう観客席は誰もいない。これなら心置きなく練習できる、とリンズラーは空のスタジアムを見渡した。
「運動神経が良くないんだよね」と笑うジェニーは、恐る恐るバトンを前に出し、ライト・サイクルを出現させた。幅のある車体にうつ伏せるような格好になる。そのままゆっくりと加速し、人が歩く程度の速度になった。
 そして200メートルほど移動してから、来た道を戻ってきた。
「ちょっと曲がるのが難しいな」
 そう言うジェニーに体の重心を移動して車体を傾けるのだとリンズラーはアドバイスした。
「うーん……やってみる」
 今度は八の字を描くように走行する。

 リンズラーは生徒の横を歩いていたが、ジェニーの運転に問題がないのを認めると、自身もライト・サイクルを実体化させた。いつもより遅い時速30キロくらいでグリッドを縦横無尽に走る。
 オレンジの車体のあとを白い車体がカルガモのようについてくる。
 恐怖心などとうに捨てたリンズラーにとっては、ゲーム・グリッドは自分の庭のようなものだが、ジェニーにとっては不慣れで冷たいガラスの道なのだった。

 しばらくしてふたりはライトサイクルから降り、バトンを脚にしまった。
 リンズラーは黒いバッグに持ってきていた飲料をジェニーに渡した。
「いいの? ありがとう、休憩にする」
 ジェニーが透明な瓶を開けて中身を飲む。青白く発光する液体がたぷたぷと動いた。
「っかー! 生き返る」
 ジェニーは佇立するリンズラーを見つめ返した。
「リンズラーは飲まないの?」
「外し方がわからないんだ」
「へ? ……バイザーの? それは深刻だね」
 ちょっと見せて、とジェニーは黒いバイザーの表面を撫でた。特にスイッチがあるわけでもない。
 すると、突然リンズラーはジェニーを抱きすくめた。
「わ! ど、どうしたの」
 ジェニーが腕の中で身じろぎする。そのまま彼女の存在を味わっていると胸に温かな気持ちが広がっていくのを感じた。
「どうかした? 言ってくれなきゃわからないよ」
 困ったようにジェニーが言う。
「……また飛ぼう。ふたりで」
 リンズラーはジェニーを解放して小指を差し出した。彼女はきょとんとしていたが、微笑むと指を絡み合わせた。
「うん。そうだね」

 そのとき、ゲーム・グリッドに玉座艦が近づいてきた。うなりをあげて、ゆっくりと降下してくる。
 クルーかな、と振り返ったジェニーが言う。リンズラーは水を差されたことに嘆息した。
「ジェニーはクルーのことが好きなのか?」
 気になって訊いてみれば、
「嫌いじゃないよ。力になりたいと思う」
 ジェニーはまっすぐな目でそう言った。胸にチクリとした痛みが走った気がしてリンズラーは首を傾げた。
「ジェニー、探したぞ」と、闊歩してきたクルーが言う。
「リンズラーにライト・サイクルを教わってたんだ」
「そいつはよかったな。では、ここからはわたしがやろう」
 そう言われては引き下がるしかない。不承不承頷いたのが伝わったらしく、クルーは薄笑いを浮かべた。「おまえもか」
「あ。雨」
 天候は相手に味方しなかったようだ。リンズラーは密かにほくそ笑んだ。
「濡れた路面での練習も必要だろう」
「今でも精一杯だからね。もう少し上達してからのほうがいいな」

     *

 リンズラーはバトンから傘を生成すると、いち早くジェニーを傘に引き入れた。手際がいい。相合い傘のシミュレーションだ。
「予備のバトンを貸してやれ。肩が濡れる」
 クルーが不快感を隠さずに言えば、リンズラーとの間に見えない火花が散った。
「これで問題ない」
「誰が話していいと言った」
「あなたに指図される覚えはない」
 矯正してやる。と、物騒な考えがクルーの頭をよぎった。けれども、見ようによっては面白い状況と言えるかもしれない。プログラムふたりがジェニーに想いを寄せているのは。
 正々堂々と勝負してやろう。闘争心をくすぐられたクルーは傘を取り出し、ジェニーの肩に傾けた。
「ありがとう、ふたりとも。じゃあ行こっか」
 屈託なく笑うジェニーはそっと歩き出した。