Spectrum blue

Photo by 青柘榴

04

 ジェニーはバラエティ番組を見ていた。隣には父と母。コメディアンが渾身のギャグを放って、ジェニーは大笑いした。普段落ち着いている父までもが笑っているものだから、よけいにおかしい。お腹痛い! と涙混じりに叫んで目を開けると、暗い洞窟だった。
(ああ、夢)
 虚しさがこみ上げてきて、顔を覆った。昨晩からの出来事がすべて夢だったら、どれほどよかったか。自分はここに迷い込んで、いまだ出られずにいる。それが現実だった。
 雨音が聞こえた気がして外を見やると、やはり岩肌が濡れていた。つややかで切り立った岩壁は、黒曜石を思わせる。時折稲妻が光って、岩が虹色に反射した。
 リンズラーは壁にもたれて座っていた。知らぬ間に眠ってしまった自分を休ませてくれたらしい。
「あと何時間?」
 ピースサインを返されて、ジェニーは跳ね起きた。
「なんで起こしてくれなかったの!」
 怒りも露わに詰め寄ると、初めて聞く声が鼓膜を震わせた。
「幸せそうに見えたから」
 言い返せなかった。寝起きの虚しさには参ったが、笑い合った余韻は、まだ胸の奥に残っている。もしかすると、これからは家族とも友人とも、夢で会うしかなくなるのだ。
 黒い手が伸びてきて、ジェニーの目尻を拭う。少し、気恥ずかしい。
 そろそろ腹を据えるべきか。唇を噛んで、そう思った。
「ポータルに行きたい」
 そう告げると、案の定リンズラーは首を傾げた。フリンの脱出を阻むため、クルーが兵を配備したことは聞いている。フリンとポータルではち合わせる確率は低いと言いたいのだろう。
「もう、いいんだ」
 ジェニーにとっての、けじめだった。

 しばらくライト・ジェットで飛行すると、陸が途切れ、眼下に海が広がった。さらに大小の岩が浮かぶ峡谷を進むと、光の柱がすぐ近くに迫った。
 機体がわずかに揺れ、島に着陸した。たちまちライト・ジェットはバトンの形に戻り、リンズラーの脚へ収まった。
 強い風が吹いている。ジェニーはバサバサと舞う髪が鬱陶しくなり、襟元に手を触れた。すぐにヘルメットが出現し、目の前の景色がワントーン暗くなる。そのまま、光の中心部への階段を上がった。
 視界が開け、ジェニーはポータルの姿に息をのんだ。白く輝くエネルギーがうずを巻いて、ごうごうと音をたてている。光のもとへ続く橋が一本あるほかは、足の踏み場がなく、底は見えないほど深い。
 ジェニーは慎重に歩を進め、光の輪に入ってみた。一瞬、静電気のような衝撃が走っただけで、あとは何の変化もない。ゲームオーバー。ジェニーはひとりごちた。

 ポータルが閉じた後、不思議と橋から身を投げる気にはなれなかった。また誰かがこの世界に迷い込むかもしれない。そうすれば、家に帰れる。わずかな期待を胸に、島をあとにした。
「私これからどうすればいいんだろう」
 黙って飛び続けるリンズラーに声をかける。返事はないものの顔がこちらに向けられた。ジェニーは彼の腹部へ回す手に力を込め、風を切る音に身を任せた。

     *

 クルーは拝謁窓から、輝きを失ったポータルを見ていた。胸を占めるのは旧友への失望。結局、フリンは動かなかった。
 帰ってきたジェニーは、思いの外まともだった。もっと取り乱すと思っていたのだが、見た目に反して内面は成熟しているようだ。
「残念だったな」
「うん」
 彼女は何かを言おうとして口を開いたが、言葉が続かなかった。顔をくしゃりと歪ませて、うつむいてしまう。
 そばにいたリンズラーが、気遣わしげに視線を送る。矯正されてもなお、もとのプログラムの温情は残っているらしい。
 フリンもこんな風に泣いたのだろうか。そんなことを考えながら、問うてみる。
「向こうはそんなに良いものか」
「家族や友達に会えないのが一番つらい」ジェニーはしゃくりあげた。「あと太陽。夜型だって自負してたけど、いざ見られなくなるとね」
 ジェニーは涙をごまかすように、よく喋った。
「私、結構夕焼け好きだったのになあ」
 と、思い出すように目を閉じる。
「あ、夕焼けって言っても、わからないか」
「日が沈むのだろう。おまえのディスクで見たが、あれは……」
 クルーは口を閉じた。向こうの空が刻々と表情を変えていくさまは、あまり良いものには見えなかった。
「いまいち?」
 沈黙は肯定だった。
「まあ、わからないのも無理はないか。街の美しさはかなわないもの」
 ジェニーは拳で目元を拭い、それから頬を叩いた。決意を込めた眼差しで、床を睨んでいる。
「うん、この世界も素敵だよね」
 かろうじて聞き取れるほどの声で囁き、クルーの隣へ並んだ。拝謁窓から街を望む。
「今日から、こっちが私の世界」
 努めて明るく言ったジェニーに、クルーは我知らず微笑んでいた。
「おまえに与える仕事がある」
「ありがとう、クルー」
 ジェニーのほっとした笑みが、妙に心に残った。